自律神経失調症歴10年30代後半独身女子(バツイチ)の日常

独り言ブログ。同じような気持ちの人に読んでもらえたら( ˙▿˙ )

母の入院

母が入院してからは学校に家事。
そして当時、私は月曜日から土曜日までの
週6日、塾に通っていたため
かなり多忙な女子高生になっていた。

私も体は強くないものの
幸い、入院というものはした事がなく
病院の食事はとにかく、不味いという
イメージがあった。

母は隣の隣の市の病院に入院していたため
お見舞いに行けるのは
基本、週に1度日曜日だけだった。

少しでも早く元気になって欲しくて
私は母にお弁当を作って病院を訪ねた。

しかし家族にすら警戒している母は
何か入れられている可能性を懸念して
初めて母に作ったお弁当は一口も食べては
もらえなかった。

凄く悲しかった。

でも私は母へのお弁当に体に毒になるようなもの
は何も入れていないと証明するために
毎週お弁当を作って持参しては
母の目の前で、そのお弁当を食べ続けた。

そんな生活が2ヶ月程、続いた頃に
母の状態も少し軽くなり
病院にいる事が逆に母の負担になる事もある
という事で退院する事になった。

本当なら
母が家に帰って来る事を喜ぶのが普通なのに
素直に喜べない自分もいた。

もし、また錯乱状態になったら?
もし、また行方不明になったら?

病院にいる方が安心なのに...

そう思っている私の横で主治医と話す父は

何があっても自分が守ります

と強い眼差しで言っていた。


重度の精神疾患の患者さんは
何が何だか分からない内に離婚届を書かされ
家族に見捨てられる事も少なくないと
母の主治医は言っていた。

ひどい話だと思うけれど
そういう選択をしてしまう程に
この病気と向き合うのは本人だけでなく
周りも相当にきついものなのだ。

母が家に戻ってから我が家もそれなりに
大変だった。


私には耐え難い事も
父は全て受け入れ母に寄り添っていた。

昔から特段に仲良くも悪くもない夫婦
だと思っていたけれど

もし私が父の立場になったら
父のように全てを受け入れる事は
容易くは出来ないと今でも思っている。


母が病気になって20年が経った今

家族を守る事に必死で自身のバランスを
保てず爆発してしまった母も

共同経営者であり妻である母が
もはや違う人なんじゃないかってところまで
壊れてしまっても全て受け入れ耐えた父も

私は尊敬して止まない。